fortia’s レビュー

カメラと猫と音楽と骨董品

中立という立場

ガルシア=マルケスの短編小説を読んだ時に、昔遊んだ女神転生というゲームを思い出した。街をうろつく悪魔や天使を仲間にしたり合成したりしてチームを組み創造主を倒しにいくというロールプレイングゲーム。天使の扱いがぞんざいな点で連想した。ダークな雰囲気のゲームで子供向けではなかったと思うが兄の影響で私もやっていた。

この作品には特徴的なシステムがあって、ゲーム中で主人公に取らせた行動により善悪の属性が変化する。善行を積めばLAWになって悪行を重ねるとCHAOSになる。LAWだと天使を仲間にできてCHAOSだと悪魔が仲間になる。確か普通にやっているとLAWになる。私は両方仲間にしたかったので、がんばってNEUTRALにした。大天使と破壊神を手札に並べて悦に入っていた。善にも悪にも染まらず両方とうまくやっていくことが正しい道だと思っていた。

 

時が経ち、大学のゼミでチョムスキーを扱った時、言語が生得的なのか学習により獲得されるのかという議論について、教授が「”生得的でもあり獲得的でもある”みたいな主張は当たり前で、そういうのは意味ないんだよね」と言った。生得説を補強する研究と獲得説を補強する研究、白黒分かれた両者の研究がきちんとなされることで、その間にある真実にたどり着く、みたいな話だったと思う。

それを聞いて私は「NEUTRALを選んだ自分は卑怯だったのかもしれないな」と思った。

善と悪に分かれるからこそ、その間が生まれる。白と黒があるからグレーを作れる。

ニュートラルは白黒分かれた二者の激闘の末に生まれる領域だ。端からそこを目指すのは両軍争って屍だらけになった焼け野原に旗を立てに行くような行為で、ある意味賢くはあるものの褒められた姿勢でもない。

中立というのは「俗世の争いから遠い賢者のたどり着く場所」のようなイメージがあって居心地良く感じていたが、前線に身を置けない臆病者の居場所でもあると気付かされ、このポジションを取りがちな自分に言い聞かせるようになった。