夏によく見るあの虫の、黒い小さな幼虫が冷蔵庫の扉に止まっていた。ティッシュで潰そうと手を近付けたが逃げる素振りも見せない。成虫のすばやい動きからは想像できない鈍さだった。不思議に思ってよく見てみると、扉についた水滴を飲んでいた。あの虫が水を「飲む」かどうか知らないが、眼前の幼虫は水滴にぴったりくっついたまま一歩も動かなかった。私には虫が一心不乱に水を飲んでいるように見えた。
「この幼虫は今、渇きを潤しているのだろうか。」
ふと疑問がよぎった。
私たちが喉の渇きを潤す時に充足感を覚えるように、虫も今それに似た何かを感じているのではないか。だからこんなにも無防備なのではないか。
彼らにも神経があるのだから、私たちの感じる感覚の一部、その萌芽のようなものがあっても不思議でない。もしかしたら彼は今ささやかな幸福感、人間が感じるそれより遥かに小さな、原初の幸福とでも呼ぶべき感情に浸っているのかもしれない。
彩りや形、音や匂い。世界のあらゆる輝きが私たちの意識の中に顕現しているように、虫の神経系にも小さな光が宿っている。そう考えると冷蔵庫の水滴に吸い付く黒いそれが何かとても尊い存在のように見えてきた。
去年、部屋でゴキブリが湧いた時の話。
幼虫は潰した。