fortia’s カメラレビュー

カメラと猫と骨董品

Tokina FiRIN 20mmF2 FE MF

トキナーのMFレンズFiRIN(フィリン)20mm。発売された時に購入を検討したが結局買わなかったレンズ。

なぜ今持っているのかというとこちらのブログで投げ売りされているとの情報を見て「この価格(2万円台)なら」と購入した。

このスペックのレンズはFE20mmF1.8Gを既に所有しているので必要ないと言えばないのだが、比べてみて使いやすい方を残せばいいかなと。

なお、私が入手した品には軽い曇りがあった。

格安セール品だから、こういうこともあるかと諦める。

近距離LEDの強光で照らすから見えるだけで天井の蛍光灯にかざしても見えない程度の曇りだし。

厳しめのお客さんから返品された品がメーカー基準的には問題なしでもう一度市場に出てくる、みたいな流れがあるんじゃないかと想像する。

左はFE20mmF1.8G

20mmF2というスペックの割には小さい。

重さはそこそこあるが、こういうレンズはそれなりの重さがあった方が高級感とか信頼感に繋がるから悪いことでもない。

ピントリングの操作感も適度な重さがあって良い。

書体がちょっとおしゃれだ。ライカを意識したのかもしれない。

では、性能について。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2, 1/3200

解像力は絞り開放から十分。

中央部切り出し

左上隅切り出し

中央はもちろん周辺も十分。重箱の隅をつつくレベルで言うと四隅は僅かに像ブレが感じられる。

だが、これも少し絞れば解消する。↓

同じ構図でF3.2に絞って撮影した結果

これは5,000万画素の写真をピクセル等倍レベルに拡大した、非常に厳しい基準での話なのであまり気にしないでほしい。

普通に使う分には、このレンズは絞る必要がない。どんな場面でも開放で撮影できる。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO160, F2, 1/30

上隅を見ると僅かな歪曲収差があるのが分かる。

これは現像ソフトで簡単に補正できる(↓ここでは周辺減光も合わせて補正している)。

ソフトウェアによる歪曲補正

↓こういう写真の場合は、補正なしだと若干気になるかもしれない(左上)。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F11, 1/80

ボケ量はそれほど期待できないが、ピントを近めに置いて背景を遠く離せば一応ボケる。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO160, F2, 1/30

中央部分はきれいにボケる。玉ボケの内側に模様があるが私はあまり気にしない。

中央部切り出し

周辺は形が崩れる。

右上隅切り出し

太陽に向けると割と簡単にゴーストが発生する。広角レンズだしまあこんなもんだろう。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F5.6, 1/400

作例

α1 + FiRIN20mmF2   ISO640, F2, 1/30

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F8, 1/80

季節感のない写真の羅列になってしまい申し訳ない。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F8, 1/125

一眼レフカメラだと20mmは相当な広角というイメージがあるかと思うが、実際に使ってみると広角感はそこまで強くない。

パースがつかないように気を付ける(カメラを上下に傾けない)と標準レンズっぽい写真が撮れる。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2, 1/200

東京の音羽を散歩している時に撮った写真。

↓この写真左側の建物。こういう狭い路地で、距離を取れない状況でも写真にできるのが広角レンズのいいところ。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2, 1/320

この路地を進んでいくと静岡県出身者用という学生寮がある。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2.2, 1/500

この学生寮の建物がなぜか気に入っている。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2, 1/125

カメラを上に向けて建物を撮るとパースがついて広角レンズっぽさが出てくる。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO100, F2, 1/50

これは目白あたりで撮った写真。看板の文字と模様が調和していておもしろいと思った。

読めないから模様と感じるのであって読める人だと感じ方が違うのかもしれない。

α1 + FiRIN20mmF2   ISO1000, F2.8, 1/30

これは横浜関内の吉田町。

意識して配置したわけではないのだろうけど、なんか絵になってる感じがすごいなと思った。

dp3 Quattroのオートフォーカス

dp3 Quattro   ISO800, F2.8, 1/100

久しぶりに道端で猫を見かけたのでカバンに入っていたdp3を取り出した。

日暮間近の時間帯、どんよりした雲に覆われて辺りは薄暗い。

中央切り出し

オートフォーカスは合わないかと思いきや、しっかり仕事をしてくれた。

dp3 Quattro   ISO800, F2.8, 1/125

いや、やっぱりだめだった。

中央切り出し

一昔前のデジカメだから仕方ない。

SIGMA dp3 Quattro

dp3 Quattro   ISO800, F2.8, 1/125

でもなぜか使いたくなる。

早いのは紫陽花ではなく

X70 FUJINON18.5mmF2.8   ISO200, F2.8, 1/1250秒,  フィルムシミュレーション Velvia

街を歩いて「今年はアジサイの開花が早いなあ」と思ったが、考えてみればもう6月だから別に早いわけでもないのか。

X70 FUJINON18.5mmF2.8   ISO200, F5.0, 1/250秒,  FS Velvia

もう6月。月日の経過は早い。この体感速度は年々加速している。

一年がイベントで埋め尽くされたりすると少しは長く感じられるようになるのだろうか。

X70 FUJINON18.5mmF2.8   ISO200, F2.8, 1/1250秒,  FS Velvia

ブーゲンビレアも咲いていた。

X70 FUJINON18.5mmF2.8   ISO200, F2.8, 1/1250秒,  FS Velvia

撮影に使ったのは富士フイルムAPS-Cセンサー搭載コンパクトデジカメ、X70。

FUJIFILM X70

 

DP2クアトロでバラなどを撮る

SIGMA dp2 Quattro   ISO100, F2.8, 1/1000秒 日本大通り(横浜)

DP2クアトロを持ち出し、撮影してきた。

SIGMA dp2 Quattro   ISO100, F2.8, 1/320秒  日本大通り

SIGMA dp2 Quattro   ISO100, F2.8, 1/250秒  山下公園

太陽を入れると色が転んでしまう。フォビオンならではの難しさがあるのだろう。

フォビオンセンサーに期待するのは順光での精細な画質だから気にしない。

そういう個性だと思えば、これもまた魅力の一つに。

SIGMA dp2 Quattro

スターレット トラベルクロック

いつも通りヤフオクで入手した昔の旅行用置き時計。箱も説明書もタグも付いていた。

↑閉じた状態。

蓋を開けて

時計を起こして上蓋で支える。

置き時計としては小さいが、枕元に置いて使うにちょうどいいサイズ感。アラーム機能もあるからまさに旅のお供にうってつけ。

今はスマホがあるし誰もこれを実用しようとは思わないだろうが。

時計の裏側。上部の金具を引き起こしてネジを巻くと動き出す。

説明書が良い味を出している。

「欧米で近頃大流行」というキャッチフレーズが微笑ましい。

と思ったが、この感覚は今もあんまり変わりないか。表立って書かないだけで。

あとカタカナが全部太字になっているのが印刷技術の問題なのかどうかちょっと気になった。

東洋時計交易株式会社は今もあるのだろうかと検索してみたら、東洋時計がヒットした。

東洋時計の歩み お客様と共に百年企業へ - 時計・宝石貴金属ジュエリー_東洋時計 TOYO Jewelry&Watch Since1931

社名に「交易」が入っていないから別会社と判断し、改めて"東洋時計交易"で検索したらビルメンテナンスの会社が浮上した。

ビルマンションメンテナンス・清掃 KCS株式会社

昭和26年の会社設立時の名称が「東洋時計交易株式会社」になっている。

当時この時計を取り扱っていたのは多分こちらだろう。

価値観が崩れた先で得られるもの

今回はカメラとは関係ない話。

 

最近、毎日youtubeのカラオケ音源を相手にリズムを刻みながら歌う練習をしていた。

指を4本使ってタタタタと16分を刻みながら旋律を歌うのは難しい。

最初は全然できなかったが再生速度を遅くしたり、つまづく所を執拗に繰り返すことでできるようになってきた。

できるようになってくると不思議なもので今まであまり感じなかったリズムを感じるようになってきた。

 

長年、リズム音痴は素養的なものだからどうしようもない、と思っていた。

近頃考え方が変わって、多くの人にできることが自分にできない理由もない、と考えるようになった。

がんばれば人並みくらいにはなるのではないか、と。

おごりたかぶりではない。

「人並みのことができない」と思うのも逆方向に自分を特別視したおごりと言えなくもないわけで。

そう考えるとやる気が出てきた。

発想の転換ができたのは、これまで持っていた強固な価値観が崩れ始めたからだと思う。

年をとると先が見えてくるせいか世の中の色々な事に意味や価値を感じにくくなってくる。

 

これまでは何かが「できる」ことに大きな意味を感じていた。

他人にできないことができれば金を稼げるが、いくら金があってもその能力は買えない。

「できる」ことの価値の高さは疑いようがなかった。

しかし振り返ってみて、できるできないと人生の幸不幸に関連があったのか考えてみると…

まあ、あんまり関係なかったなと。

そうやって一旦「できる」ことの価値に疑いの目を向けたら、対極にあった「できない」ことも重さを失った。

才能がないからできないという考え方がばからしくなった。

できるできないなんて、そんな大層なものじゃないからもっと気楽に考えればいい。

 

そうやって気楽に(だが真面目に)取り組んでみたら意外とどうにかできそうだった、というのが今回の話。

このまま価値観の崩落が続くと、いずれこの「やってみよう」という意欲さえも失われてしまうのだろうが、

少なくとも現時点においてはなかなかいい塩梅に崩れてきたなと思っている。

 

※指を4本使うのは1234のカウントにそれぞれの指を割り当て、自分がどこを歌っているのか把握できるようにするため。

シンコペーションが来ると必ず拍を失って迷子になってしまうリズム音痴の私が自分用に編み出した練習技法だ。

α7S + TAMRON90mmMacro172E ISO100, F2.8, 1/320秒