fortia’s カメラレビュー

カメラと猫と骨董品

価値観が崩れた先で得られるもの

今回はカメラとは関係ない話。

 

最近、毎日youtubeのカラオケ音源を相手にリズムを刻みながら歌う練習をしていた。

指を4本使ってタタタタと16分を刻みながら旋律を歌うのは難しい。

最初は全然できなかったが再生速度を遅くしたり、つまづく所を執拗に繰り返すことでできるようになってきた。

できるようになってくると不思議なもので今まであまり感じなかったリズムを感じるようになってきた。

 

長年、リズム音痴は素養的なものだからどうしようもない、と思っていた。

近頃考え方が変わって、多くの人にできることが自分にできない理由もない、と考えるようになった。

がんばれば人並みくらいにはなるのではないか、と。

おごりたかぶりではない。

「人並みのことができない」と思うのも逆方向に自分を特別視したおごりと言えなくもないわけで。

そう考えるとやる気が出てきた。

発想の転換ができたのは、これまで持っていた強固な価値観が崩れ始めたからだと思う。

年をとると先が見えてくるせいか世の中の色々な事に意味や価値を感じにくくなってくる。

 

これまでは何かが「できる」ことに大きな意味を感じていた。

他人にできないことができれば金を稼げるが、いくら金があってもその能力は買えない。

「できる」ことの価値の高さは疑いようがなかった。

しかし振り返ってみて、できるできないと人生の幸不幸に関連があったのか考えてみると…

まあ、あんまり関係なかったなと。

そうやって一旦「できる」ことの価値に疑いの目を向けたら、対極にあった「できない」ことも重さを失った。

才能がないからできないという考え方がばからしくなった。

できるできないなんて、そんな大層なものじゃないからもっと気楽に考えればいい。

 

そうやって気楽に(だが真面目に)取り組んでみたら意外とどうにかできそうだった、というのが今回の話。

このまま価値観の崩落が続くと、いずれこの「やってみよう」という意欲さえも失われてしまうのだろうが、

少なくとも現時点においてはなかなかいい塩梅に崩れてきたなと思っている。

 

※指を4本使うのは1234のカウントにそれぞれの指を割り当て、自分がどこを歌っているのか把握できるようにするため。

シンコペーションが来ると必ず拍を失って迷子になってしまうリズム音痴の私が自分用に編み出した練習技法だ。

α7S + TAMRON90mmMacro172E ISO100, F2.8, 1/320秒