年を取ったのでワイドショーでコメントしている大学教授が自分と同世代だったりするようになってしまった。昔はテレビで大学教授がコメントしていたら無条件にその言葉を信じたものだが、今は「そんな専門外のあれこれまで勉強する時間はなかっただろう」と冷ややかに見てしまう。

2007年山下公園にて。天の言葉を人に伝えに来たカモメ。実際はえびせんをもらいに来ただけ。
今この世界で一番長く生きているのは世界最高齢の百十何歳だかの人で、他の人はみんなその人より若い。最高齢の人からすれば世界には若者しかいない。この世界を一番長く知っているのが自分で、自分以上に世界を知る者がいないとなったら、さぞ心細いことだろう。
知識は世代を超えて伝わるから、つい「私たちはいろいろ知っている」と錯覚してしまうが、今この世にある「生きた知識」は最長でも百十数年分だ。他は全部それ以下でしかない。そう考えると、私たちは存外ものを知らないとも言える。数千年引き継がれてきた知識はあっても数千年を生き抜いた知恵は持ち合わせていない。

話は変わって、絶対音感は幼児期を逃すと身に付かないと言う。それ以外の音感も大人になってからは難しいらしい。音感に乏しい自分が試してみて、その通りだと感じる。本当に全然覚えられない。なぜ音の記憶は特別なのだろうと不思議に思う。人の名前だったら一度では覚えられなくても繰り返し聞けば絶対に覚えられるのに、音はどれだけ聞いても記憶できない。厳しい戦いだと日々思わされる。
しかし、絶対に無理、なのだろうか。
昔テレビの相撲中継で欧州出身の力士が流暢な日本語でインタビューに答えるのを聞いて驚いたことがある。 言語の聞き取りや発音も幼い頃に決まると言われていて、実際にパックンやデーブのようにどれだけ上手い人でも欧米人の日本語はイントネーションがわずかに違うから、大人になってからの完全習得は無理だと思っていた。それが力士の場合、なぜか日本語ネイティブのイントネーションで喋っている。何人かの欧州出身力士を見たが、日本語の発音になっている人が多かった。

厳しい上下関係のある相撲部屋では発音を間違えるたびに先輩力士にどつかれたりして聞き取り精度が上がるのだと思った。芸能人や普通の社会人として来日している外国人が些細なイントネーションの違いを指摘されることはまずないだろうが、時々世間を騒がせる相撲部屋のような閉鎖空間ではあり得る。不完全な日本語発音が可愛がりなどの死活問題を誘発し、そういった限界状況で脳が覚醒し発音のキャリブレーション精度が極限まで高まるのだと推測した。
なお、これは当時報道されていた内容から私が抱いた妄想に過ぎず、今も昔も相撲部屋の実情なんて知らないし、安青錦のような最近の人達にはまったく当てはまらない話だと思う。
とにかく、閉鎖空間で日々プレッシャーにさらされ続けることが尋常でない学習成果をもたらすのだと当時の私は考えた。

広島大学旧理学部一号館
音感も同じではないだろうか。音感の有無で生死は決まらないから、これまで誰も死ぬ気で取り組んだりしなかったが、かつての相撲部屋のような厳しい環境で日々どつかれながら修練を積んだとしたらどうだろう。
これは仮の話だが、たとえば音感養成のための強制収容所があったとして……あくまで仮の話、思考実験だ。その音感養成収容所に音感のない大人を数十人放り込んで、日夜、音の弁別訓練だけをさせてみるとしよう。

旧日本銀行広島支店
恐怖体験はトラウマとして深く記憶に刻み込まれるそうだから、その特性を利用して囚人には音の判別を間違えるたびに電気ショックを与えることにする。さらに、限界状況を認識させるため一定期間成績の向上しない者から処刑していくことにする。もちろん実際に処刑はしない。そういう演出をする。心配しないでほしい。これはただの思考実験だ。
そんな生活を10年20年という単位でさせたら、数十年後の出所時、生き残った何人かは相対音感は元より絶対音感すら獲得しているのではないだろうか。音楽ができる精神状態かどうかは知らないが。
要するにそこまでやってダメだった実績があって無理と言うなら分かるが、実際は誰もそこまでやっていないし、やるはずもない。だから「無理」なんて誰にも言えないのだ。

私たちは皆たかだか100年の経験しか積めない上、その経験は誰にも引き継げない。人類の歴史は長いが今の私たちが持っているのは先人が残してくれた記録と、今この瞬間を共有している互いの経験だけ。何でもかんでも知っているわけではない。人間がその一生を使って何を達成できるのか、誰も知らない領域がまだたくさん残っていると私は思う。